山下ふみこオフィシャルブログ

2017.05.16

生涯学習施策は稲城市

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5/15「主婦が幸せに暮らせる街」全国2位の東京都稲城市にある複合施設「iプラザ」をなないろの風の仲間と県外の市議有志で視察。

「稲城市生涯学習推進計画・Inagiあいプラン」に基づき開設された「いなぎICカレッジ」の生涯学習施策を学ぶ。

稲城市「第三次生涯学習推進計画」(H24~H33)は、憲法26条における「教育を受ける権利」を大前提に、H18に改正された教育基本法3条「生涯学習の理念」に基づき、生涯にわたって様々な形で「学習する」ことができる社会を実現することを基本姿勢としている。

このICカレッジは市民ボランティアの理事20人が企画・運営を担い、受講料で運営をしている全国でも珍しい受益者負担のシステムを可能にしている市民大学である。

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講座は市民ボランティア講師による「一般教養講座」と、近隣大学の先生による「プロフェッサー講座」があり、毎年1500人の受講者が参加している。


このカレッジの事務局は教育委員会・生涯学習課の職員1人と非常勤の職員1人と臨時職員1人で運営されている。
職員を増やさず、お金もかけない受益者負担のシステムが総務省に評価されている。

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この生涯学習が成功している秘訣:
●教育委員会が事務局なので、講座の会場確保、広報、対外的大学等の窓口となる。
●ボランティアの理事たちが
積極的に取り組んでいけるように、事務局と双方向の関係を構築
●講師謝礼や事務局経費に金をかけず、受益者負担(受講料)で運営を実現
●単位制市民大学として運営(市民修士(12単位)や市民博士(30単位)の学位記を授与)

生涯学習を終了した人たちや学位を取得した人たちは、その後どういう形でかかわっていくのだろうか?
その一つにはグループが出来て自主的な活動しているところもあるというが、毎年1500人もの人たちが受講し、終了しているわけで、その先の活動をどう市民活動等につなげて行けるのだろうか。
向学心に燃えている受講者たちを、地域で活躍できる仕組みを作らない手はない。

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2017.02.05

井田の塩づくり&菜の花まつり

2/5は井田の菜の花まつり。
すごーく有名なこの写真の風景だが、祭りにはなかなか行けずにいた。
今回は私の大好きな華ちゃんが、井田塩を使ってパンを作りたいというので彼女の思いを叶えてあげたいというか、その塩パンを1日も早く食べてみたいという下心もあって、念願の井田へ仲間と行く。

井田の集落に入るには、この桜並木の道を通るのだが、すでに河津桜は五分咲きになっていた。

写真は井田の奥田さん。今回の訪問は井田塩を買うこともそうなのだが、塩づくりを民間会社と一緒にやることになったということを聞いて、その真相をちゃんと本人に確かめたかった。

改めて、井田の塩づくりのことに触れておきたいと思う。
井田は
40世帯で人口80人ぐらいの小さな集落。沼津から車で1時間余り。海岸線を走り続けて山中に入り、県道17号線からわき道に降りた処にある。
今日はすでに道の両脇には河津桜が五分咲きである。

親戚でもある奥田さんが「村おこし」をしようと思って始めた井田の塩づくり。

その手法は1500年前にさかのぼるという。安康天皇が詠まれた歌の中に、「かく山の麓の塩のくすりにて井田ともいふぞ内裏から名に」とあるように、かつてはこの地の塩が皇室に献上され、病を癒したといわれている。

当時、ここも人口流出と高齢化が進み、民宿も昔とは違い、過疎化は進む一方であった。
そこで、何とかこの村のために、安定的な生活の糧になる仕事がないかと文献等を調べ、1500年前の塩づくりを発見した。
そこで、村の人たちに呼びかけ賛同してくれたものの、いざ始めようとすると過酷な労働ということもあったのだろうか、結局、奥田さん一人で掘っ立て小屋を建て釜
1台で始めることになった。 
確かに、その文献による塩づくりは、大変な重労働で手間暇がかかる。釜は鉄板が0.5ミリの薄さで焚き上げなければ目指す塩にはならず、その薄さゆえに釜は1.5ヵ月しかもたず、交換しなければならない。早朝から海水500リットルを海からくみ上げ、薪で13時間以上焚き上げる工程は聞くだけでも過酷そうです。
確かに時間もかかり、効率も悪く、釜交換にも経費がかさみ、
さらにその作業に取り掛かかれば、火加減調整もあってほとんどかかりっきりになる。特に夏の暑い時期は締め切っている作業場は過酷以外の何物でもなかったと思う
こうして出来上がった塩は東京の一流料理屋から視察があり注文が来るまでになっている。
売り込みから販売まですべて一手にやり、その合間には民宿や農業、ミカンもやるわけで、本当に頑張ってきたのだと思うと、いつも新米の時期にはお裾分けしてもらっている我が家は感謝が足りなかったと反省する。
(下の写真は新しく建てた塩づくり作業場)

ここまで奥田さんを駆り立てたものは何だったんだろうか。
彼は何も言わないけど、何とかこの井田の良さをみんなに知ってもらいたい、ずっとこの村に住み続けるには、「俺が頑張らなくて誰が頑張るんだ」という想いがあるのだと思う。彼は昔気質だけれど、進取の気性に富み、常にチャレンジャーだったから、きっと村では特異な存在だったかもしれない。でも彼は常に井田のこと、戸田のこと、そして次の世代のことを考え続けている。
そんな彼が、とうとう今年から民間会社と連携していくことになったという。
体力的にも大変になってきたのがきっかけだったのかもしれないが、民宿もやめてこれからは塩づくりに専念していける環境になり、さらに「いい塩づくり」を目指すという。
今日の祭りでも、奥田さん一家の若い人たちが頑張っていたし、こうして確実にその塩づくりが若い人たちに繋がっていっている様子が見てとれた。

私は常々言っているのだが、神々しい不思議な力があるところです。この井田にある唯一の妙田寺。ここにお釈迦様の舎利が祀られているのはご存じだろうか。さらに運慶の作品とも言い伝えられている仏像もある。
この話はまたの続きとしよう。是非、井田に行ったときは奥田さんと寺の和尚様を訪ねるといいでしょう。

2016.09.04

第1回登山ツアーby香貫山影奉仕

香貫山影奉仕が毎月行っている清掃活動として、山道整備、下草・枯枝伐採、公園樹木整備、駐車場の整備拡張、トイレ清掃、不法投棄ごみの対策、樹木の再生など、山に登ってくる人たちに少しでも快適に感じてもらえるようにボランティアで整備を続けている。
また、仲間の一部が香陵台の茶屋を活用して、写真展の開催をしたり、緊急時の連絡ネット網も自然発生的に出来上がり、何かあったときは役所や警察にも連絡を取る体制もできている。

今回は沼津市のまちづくりファンド事業の一環として、「第1回香貫山登山ツアー」に参加。

この日も暑い暑い中、香貫山周辺のこんな身近に、興味深い歴史があったんだという参加者の声が多くあった。
地域の再発見と、香貫山の再認識につながっていく事で、今の香貫山の活動の参加者を確保し、今後、森づくりの専門家を講師に招き、「市民協働の里山づくり」を進めるための研修等を開催していきたいという。

2016.01.12

なないろの風・掛川に集合NO1

1/11掛川駅前に県内女性議員のグループ「なないろの風」が集合。駅から向かった先は、まず希望の丘。市立総合病院の跡地8haには医療・保健・福祉・介護・教育に関する施設が集合し「命」を育む拠点となる。昨年4/1「健康・子育て日本一」への新たな幕開けとして「希望の丘」が誕生した。

このエリアは、医療や福祉、子育ての施設が連携し合い、住み慣れた地域で最後まで暮らしていけるための体制整備を目指している。施設整備のハード面だけではなく、市内の各施設ともリンクし、さらには、市民との協働による機能向上にも繋がっている。

そこの一つに生活介護事業所「ぴのほーぷ」がある。医療的ケアが必要な人を含む重症心身障害のある人が日中に通う通所施設。床暖房で極力部屋の乾燥を防ぐようになっていたり、外からの採光、トイレ・お風呂も、利用者はもちろん介護する方にとっても、快適で負担を少なくする配慮が細かい処にまで考慮されている。
例えば、トイレは3種類あり、寝たままで出来るものもあり、高さはベッドからそのまま移動できるようになっている。

希望の丘ができたことで、地域医療の中核を担う中東遠総合医療センターと市内5カ所の地域医療支援センター「ふくしあ」と合わせ、市内全域に支援の手が届くようになり、地域包括ケアシステムの視点を取り入れた全国でも先駆的な地域完結型総合支援体制が整った。官・民・地域による協働のモデルゾーンとなっている。
医療・保健・福祉・介護・教育のゾーンとして、地域包括ケアシステム「掛川版・コンパクトシティ」が、この希望の丘から始まっている。(下記の図をクリック」

2015.07.11

第1弾・高尾山古墳を知ろう!静大・篠原教授

「歴史と文化を大切にしたまちづくり」の第1弾を7/11開催。
参加者は200名余。スタッフを入れると220名以上の参加者となった。
その多くはもちろん沼津市民ですが、西は富士市、静岡市、牧之原市、東は横浜市、千葉市~の参加者もいて、ネットや新聞で知り来て下さったようです。

静大・考古学の篠原和大教授の「高尾山古墳が語るもの」
1・高尾山古墳はどんな古墳か
2・高尾山古墳が造られたのはどのような時代か
3・高尾山古墳にはどのような価値があるのか―なぜ保存なのか

私たちが最も注目したいのは、邪馬台国・卑弥呼と高尾山古墳の王との関係である。
先生の話の中では、「倭人伝の中では卑弥呼と狗奴国の抗争が記される。大和を中心とした地域を邪馬台国の国々、狗奴国を濃尾平野の勢力と考える人が多い。東日本の地域が狗奴国とのかかわりが深いとみると高尾山古墳の主は、卑弥呼の対抗勢力であったという見方になる。一方、こうした大型古墳の築造が後の大和主権を築いていく大和中枢部との関わりになるとみるならば、むしろそうした先進的な拠点を形成したものとみることになる。」
「確かに、卑弥呼と同年代に活躍し、同じ頃に亡くなって埋葬されたわけである。だからこそ、その活躍時期において二人は接点を持った可能性は高い」と説明。

歴史学者の磯田先生は、≪魏志倭人伝に「女王卑弥呼、狗奴国の男王卑弥呼子(ひみここ)ともより和せず」とある。卑弥呼と戦っていたのが、この卑弥呼子の古墳の可能性も否定できない」ともいっている。

最後に篠原先生は
「日本列島の政治的な社会の成り立ちを知る上で極めて重要な遺跡。残せば,恐らく史跡として活用公開され、未来にわたってその価値は繰り返し高まるだろう」
と。

最後に高尾山古墳を守る会の代表・杉山さんの挨拶
「この高尾山古墳を守り、保存に向けての活動は今やっと始まったばかりです。多くの人から頑張ってという声をもらうが、私たちが頑張るのではなく、皆さん一人一人が声を出し、行動しなければこの高尾山古墳を守ることはできません。署名活動は皆さん一人一人の声を表明するものです。是非一緒に行動をしていきましょう・・・」

今日から署名活動が始まりました。よろしくお願いします。

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