山下ふみこオフィシャルブログ

高尾山古墳

2019.03.11

大光寺晋山式の安下所

3月10日、大岡にある大光寺の晋山式(住職が寺に入る際に行う儀式)が、数十年ぶりでありました。渡辺さん宅が檀家代表として、和尚さんの親受けとして、住職としての和尚さんが身支度を整えられる安下所でした。
今回、不思議なご縁から渡辺さん宅において晋山式前の様子を拝見することができました。
和尚さんが来られて着替えられ、渡辺さんのご先祖様にまず読経をあげられました。それから「祝茶」を出し、それがすむと、安下所より行列を組み、お供の僧侶の方々と共にお寺に向かわれました。

大光寺は臨済宗妙心寺派の古寺で、1335年に開山・第42世として入寺した古月禅師は「東の白隠・西の古月」と称されるほど高名な禅僧と言われていました。
この晋山式の前の様子から一生のうち二度と見られないだろうと近所の方々も大勢見えられていました。私は渡辺さんとの偶然の出会いから、私の父が生前、犬の往診をしていたこともわかり、そんなご縁から今回のことを知り非常に貴重な体験をさせていただきました。

2018.07.10

高尾山古墳と和島誠一賞

先日、市長に表敬訪問をして写真にある「和島誠一賞表彰状」の報告がされたと伺う。
この賞は2000年~行われ、毎年そうそうたる顔ぶれの方々が受賞されている大変由緒ある賞だということを関係者からも伺う。
2015年6月議会に高尾山古墳の調査費が計上され、取り壊しの予算は議会で可決された。にも拘らず、議会の可決直後に、当時の栗原市長は、予算執行の一時停止を表明した。
当初、関係者の誰もがこの古墳はなくなる運命だと思っていたし、その方向で進んでいた。
しかし、市民運動の盛り上がりと同時に水面下で本当に多くの著名な方が動いていた。その一人に歴史学者の磯田道史さんも、彼の著作の中にもこの高尾山古墳の経緯は書かれている。

この表彰状を見せて頂いた時には、当時のことを思い出して、またこうしてその時のことを忘れずにいて下さる方がいることに本当に胸に迫るものがあった。地道に誠実にやってきたことが報われた瞬間であった。
https://yamashita.fm/blog/2015/06/6378/

2018.06.05

高尾山古墳を守る会の受賞

本年度 第19回和島誠一賞を受賞!!

「高尾山古墳を守る会」は団体部門で受賞者として選ばれました。

 和島誠一賞は、2000年5月に設けられた賞です。文化財保存運動の先駆けをなし、また大きな足跡を残した考古学者・故和島誠一氏を記念した文化財保存の賞です。
和島氏は考古学に科学的精神を啓発され、文化財保護思想の普及を広く提起し、また積極的に実践を行ったことが高く評価されています。
文化財保存全国協議会では、このたび和島氏が遺された文化財保護思想の遺産に深く学びながら、21世紀に文化財保護、活用および普及がさらに飛躍的に発展するという期待を込めて、「和島誠一賞」を設け、遺跡保存に顕著な力を果たしている個人と団体を表彰しています。(画像クリック→拡大)

高尾山古墳

https://yamashita.fm/blog/2015/06/6378/
2015年6月議会に補正予算で道路事業費として5100万円が古墳埋蔵文化財発掘調査の費用として計上されていた。
行政側の当初の説明は単なる調査だということで、これは道路を作る為の予算だということだったが、、実はそうではなかった。調査は記録保存の「全面発掘」を名目に古墳を全て削って行く調査だった。削ってしまってから、もし何かが出てきてもそれは後の祭り。上から順番に削っていくので、道路の平面まで壊してしまうことが分かったのだが、その時点ではすでに古墳はなくなる方向で動いていた。
6月議会の補正予算の採決では、予算に賛成21:反対6で、この古墳は調査名目で消えてなくなる運命にあったのだが・・・

写真は補正予算案の採決の様子。
賛成のための議員21人は起立している。賛成多数で古墳調査費は可決したのだが、そのあとで、栗原市長は調査費の一時停止と有識者会議の開催を表明した。
それから事態は大きく方向転換をしていくことになったのだが、その過程において一筋縄ではいかなかった。
市民団体の粘り強い保存運動と歴史学者の磯田道史さんや全国の保存団体が動き、そして国交省が動き、保存の方向に大きく変化をしていくことになっていった。その経緯は後に磯田さんも本に書かれている。

2015.11.01

高尾山穂見神社例祭 in 日枝神社

11/1(日)高尾山穂見神社例祭が平町1丁目、2丁目の自治会合同で行われた。

平町にある穂見神社は大正14年6月に、山梨県の南アルプス市にある高尾山の穂見神社から御神体を分祀されたものであるという。御祭神は宇迦御魂命(うがたまのみこと)である。
最初の場所(元平町郵便局)は区画整理事業のために移転を余儀なくされ、現在の日枝神社の一角に移転されたもので、今年でちょうど90周年ということのようです。

神事の後に、直会(なおらい)をする。
直会とは、祭りの終了後に、神前に供えた御饌御酒(みけみき)を神職をはじめ参列者の方々で戴くことをいう。

昔、平町は問屋街だったという。狩野川から直接、荷降ろしできたので、川を上り下りして、荷を運んだと言います。平町界隈は、造り酒屋、お米、豆や、油や等の問屋が、川沿いに立ち並んでいたようです。もちろん今ではその面影は全くありませんが、祖父から聞いたことがあります。
当時の問屋の旦那衆が、商売繁盛や五穀豊穣を願って、南アルプス市の穂見神社へ行って御神体を分けてもらったということのようです。

この界隈の事を知っている方がいたら、ご連絡をお待ちしています。

分霊とは:本社の祭神を他所で祀る際その神の神霊を分けたものを指す
そして毎年この時期に2つの自治会が合同で高尾山穂見神社例祭を行っている。

2015.09.05

高尾山古墳と道路両立の協議会

今やっと古墳保存と道路の両立に向けて話し合いが始まった。その第1回目の協議会が9/3。
この協議会自体に法的拘束力はないが、最終的な市長判断に影響を及ぼすことは間違いがない。
この協議会の行方を見守るために、多くの市民、考古学者、県内外の方が傍聴に来る。会場に入りきれない方々は別室でモニターでの参加で、100人余からの方がこの協議会の行方を見守る。(画像はクリック)

6/30、6月議会の最終日に、道路のために古墳を削り取りながら調査をしてくと文化財予算が、他の一般会計予算と一緒になって可決された。しかし、市長は予算執行を留保し、今回の学識経験者の協議会で検討することとした。

協議会の資料の資料に「今後の検討方針について」当初、道路構造令上、道路との両立は不可能とされれてきた道路設計について、新たな設計条件を幅広く設定した。
当初の設計速度60km/hが40km/hにまで範囲が広がり、車線数も4車線から2車線までになったりと、多くの不可能とされている条件に、様々な柔軟性を示したものに代わってきている。

いったん行政で決まったものが、こうして改めて、有識者を交えて議論されるという事例は数少ないと思う。

しかし、新国立競技場の白紙撤回等の昨今の状況を見ると、今まで行政判断の下でやってきたことの弊害が、社会や経済状況の変化と共に、変わってきているのではないかと思うし、また変わっていかなければならないと考える。まずは決定プロセスを公表し、その中でどうあるべきか、市民や第三者機関と共に進めていくことが大切だと認識して欲しい。
特に文化財の保護についても、今までの経済成長優先の御旗のもとに、多くの文化遺産が失われてきた事実がある。
その現状を回避するために、平成19年に「文化財保護法」ができた。
この法律の目的は
第一条  この法律は、文化財を保存し、且つ、その活用を図り、もつて国民の文化的向上に資するとともに、世界文化の進歩に貢献することを目的とする。
次回は11月頃の協議会に注目をしながら、引き続き署名活動や学習会を行っていきたいと思う。

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