山下ふみこオフィシャルブログ

2018.06.20

We are charming women !

I'm happy that we got to catch up !
久々に友との再会は本当に嬉しかった。私の心のつっかえがスーと消えたような気がする。肝心な時に分かってくれている二人がいた。
やっぱり、こんな私たちを何と表現したらいいんだろうって話になった。
charming?
ネットで調べてみると「チャーミングな人って、凛としていて、素直で、自然体。まわりに惑わされず、自分らしく、「かわいい」のではなく「かわいげ」がある人。
「かわいい、美しい、カッコイイ」は気や視線を引くけど、「チャーミング」はハートを引き寄せる。」ってあった。
「うん、うん、そだね!」って顔を見合わせて笑いこける。

今日は二人の友に招待されて日本平ホテルに行く。生憎の雨だったが、心はウキウキ。大好きな二人から、「市長選に出てくれてありがとう!」のご苦労さん会を開いてくれた。
私のもやもやしていたことを、ちゃんと答えを出せる二人。
「私ってダメなんだなぁ」ってところを褒めてくれる。「だってそこがスペシャルなのよ」「思い通りに生きればいい」って。
他愛無い会話が、私を救ってくれる。

↑本当なら右の景色を私に見せたかったと、でも生憎の大雨でした。

私たちってやっぱりそう思わない?

“A charming woman doesn’t follow the crowd. She is herself.”

「チャーミングな女性は大衆に流されない。自分を持っているの。」ロレッタ・ヤング/アメリカ女優)

沢山の経験をして熟してこそ出る、charmingグランマになっていたい!

2018.06.18

親子で食卓 byぼんどーる 

グルメ街道にある「ぼんどーる」http://bondool.com/で第9回目の親子の食卓を開催。ぼんどーるさんのご厚意で毎月第3日曜日17:30から普段なかなか親子で食事を一緒にできないシングルマザーの家庭や子どもの障害を抱えた家庭などに、本格的な日本食を、たまには親子でゆっくり楽しんでいただきたいという趣旨のもと開催されている。
親子の感想:初めて参加しました。普段食べたことがないような季節の食事ができ、久しぶりにみんなとお話ができました。外でゆっくり食事をする機会がないので、子どもも楽しかったようです。

2018.06.10

茶生産の新たな取組 by(株)流通サービスNO1

6/8菊川市にある(株)流通サービスは、お茶の生産から製造、包装、販売、輸出入等、六次産業をすでに手掛けているということで、なないろの風の仲間と服部社長のお話を伺いに行く。
今、お茶農家の危機が叫ばれて久しい。お茶を作れば作るほど赤字が嵩むとまで言われている。その茶生産の新たな取り組みとして地域ブランドの確立、後継者の確保、耕作放棄地の防止、学生たちへの農業体験など独自の仕組みを作り上げている。
社長は年に40回以上海外を飛び回っているため、なかなかアポが取りづらくやっと念願がかなった。
社長自らが海外現地に出向き、そこの風土や環境、そしてそこでの信頼関係を構築することが基本だという。それから商品を売るには、お客様のモニタリングをしてそのニーズを常に調査し、そこで求められる商品を開発していくことだという。
「とにかく自分一人でも現地に行かなければ始まらない。そこで信頼関係を作っていくことから始まる。市場の相場により価格が決まる取引で、品質が良くても農家の苦労や労働力に対して価格には反映せず、市場の相場で価格が決まってしまう。この会社が正当な価格で売買できているのは、ダイレクトに現地の方との信頼関係でつながっているから。そして相手が欲しいものが自分の所にしかないから、相手は高くてもうちの商品でなくてはダメという。今までの種まきが次の人につながっていく・・・」
欲しい商品を正当な価格で売ることができる取引こそ、本来あるべき取引の仕組みである。社長自らが世界に出向き、商品のデモストレーションを行い、今の取引の仕組みを築き上げてきている。

彼が話す力強い言葉の一つ一つに刺激されながら、自分が今まで議員活動をしてきた「現場に答えがある」という姿勢は似ている。彼の精力的な行動力の裏には、100年続いてきている服部製茶が実家で、父親は商売はいつか変わっていく、そのためには100年先をみる商売をしていくことだと教えられてきたという。お茶に対する確かなものを見る審美眼と人のやらないことを地道に続けて種をまいてきたことが、今では世界中に抹茶の取引が拡大し、今は26か国、そのうち30か国に及んでいくだろうという。

農薬・化学肥料を一切使用しない農法で管理されている原料の茶葉の栽培から碾茶への加工、そして抹茶への石臼引きまで一貫生産をしている。

抹茶ばかりではなく、今では紅茶やコーヒーにまで拡大し、農園直の取引を行うことで、その農園の茶樹やその畑の水、農家の方と接することによって、その農園の取り組み方がわかるので、品質の良いものをつくっている農園を選ぶ事ができるという。

2017.12.25

第96回香貫山影奉仕

12/16(土)第3土曜日は香貫山の清掃の日です。来年4月に10年目を迎えます。
新しい仲間も入ったり、ちょっとお休みの人もいたり、無理せず、できる人で出来ることをやっていこうと言いながらも、下草狩りや枯れ枝の処理、側溝の泥や枯葉の掻き出しは、最近になって大変と感じることが多々あるようです。
山の斜面での下草狩りは一見なだらかな斜面のようですが、足元が滑りやすくなっているような時は、危険が伴います。斜面で刈った枝等を一定の長さに切り揃えて、束ねて搬出する一連の作業は、結構、骨の折れるもので、「少し作業の見直しをする時期に来たのではないだろうか」という意見があった。

知らず知らずのうちに齢を重ね、今までできたことも徐々にシンドクなっているのかもしれない。この9年間、仲間の誰も大きな怪我や事故もせずに今日まで来たことは、とてもラッキーなことというよりも、メンバーの配慮があったからこそではなかったろうか。そういうメンバーに支えられて活動が続けてこれたと思う。

この香貫山に魅かれて毎朝登ってきたことがきっかけとなり、その思いが清掃活動につながった。誰のためでもない、各々がこの山に思う気持ちの表れが、この活動に繋がっているのだと思っている。
新しい年を迎えるにあたり、みんなで率直に話し合える関係性をちゃんとつくっていきたいと思う。本当にこの山を通して、茶屋の杉本さんを始めいい仲間に巡り合えたことが最大の宝物だし、香貫山のお陰なのかもしれない。

次回の予定:1/20(第3土曜日)9:00~・雨天の場合はお休み

2017.08.13

新幹線駅設置に反対運動?

よく沼津の衰退を取り上げるときの一例として、「新幹線、キリンビールなど行政に対して反対する人がいて、何でもかんでも反対するからこの町は衰退していく・・・高架事業もせっかく補助金が3/4も来るんだから、沼津市の負担は、たった1/4だから・・・」と。
8/8の沼津朝日新聞に「市長と語る会」の8/3席上でもこのような話があったというので、そのことについて今更だが触れておきたい。
8/3 愛鷹地区センターで行われた「市長と語る会」(記事クリック→拡大)

さらに、その発言について記事の下段に以下の説明が掲載されている。↓(記事クリック→拡大)

「新幹線駅設置の反対運動があったのか否か」については議会でも当時の斉藤孝一議員が質問しているので、その議事録の一部を紹介する。


---------200611/30 平成18年第15回定例会・議事録の一部-------------------

議員の質問:
私は183月の一般会計予算特別委員会の中で、「沼津駅の高架化を実現する市民の会」が発行する機関紙「かけはし」第20号の記述について質問しました。
「過去のビッグプロジェクトの実現寸前の反対運動は、沼津の地盤沈下にかかわる諸問題の原因になっている。」という部分の、過去のビッグプロジェクトとして紹介されている新幹線駅、県立がんセンター、キリンビール工場に対する反対運動の有無についてであります。

このときの答弁で、調査の結果、県立がんセンターについては、反対運動はなかった。
キリンビールについては、西間門の自治会から反対の申し入れがあった。

 新幹線駅については、古い話でわからないという答弁でした。
そこで、改めて調査を依頼しておりましたので、新幹線駅誘致に対する反対運動の有無について、沼津市の調査結果と認識を伺いたいと思います。

 沼津駅周辺整備事務局長の答弁:
新幹線駅のその後の調査についてお答えします。
 市が調査したところでは、新幹線沼津駅の実現に向けての誘致運動は、昭和30年代から昭和40年代の前半まであったことは、沼津市史等で確認をしております。一方、昭和40年代の前半には、沼津より三島へ新幹線駅を設置すべきだとする地元新聞社の主張があったことも当時の新聞紙面で確認をしております。
しかしながら、新幹線沼津駅の誘致についての反対の有無の資料は見当たりませんでした。

 議員の質問:
1回目の答弁で、新幹線駅誘致の問題は反対運動があったことが証明できませんでした。昭和40年代の古いことでわからないということですが、はっきり申し上げて、そのことを反対運動はなかったと言うんではないでしょうか。

御存じのとおり沼津を通過する新幹線は、地盤の都合上、根方街道の上の山際を通過しております。もしも沼津に駅を誘致するとしたら、江原公園の上あたりにつくるしかありません。そうした現実を踏まえ議論する際に、それでも誘致したい、あるいはそれでは誘致してもしようがないといった意見が出たことは容易に想像がつきます。どんな事業でも、そのぐらいの議論はあるものではないでしょうか。

私が調べたところによりますと、新幹線が開通した昭和39年当時、新幹線駅は県内を熱海、静岡、浜松間から始まりました。同時期に、折り返しの必要性から電車留置線が検討されていましたが、熱海にはそのための土地がなく、静岡では地価が高い上に回送距離が長くなるため昭和40年、三島に電車留置線がつくられることになりました。その後、列車の増発に伴い待避線をふやしますが、これでも運行が苦しくなり、結局、三島に駅があった方が在来線とつながっていて、観光客の利便性もより高いという判断から、昭和44年、新幹線三島駅誕生となりました。

このようないきさつを見れば、この判断は当時の国鉄の主体的かつ合理的な判断であり、実現寸前の反対運動によってかなわなかったものではないことは明らかなのであります。ちなみに、石油コンビナートについては、昭和35年に県の計画発表があり、時期を同じくした昭和39年に、反対運動のピークを迎えていることがはっきりと記録が残されています。

-----------------------以上

国からの補助金の安定的な確保、かつて経験したことのない人口減少と高齢化による税収の見通し、借金の返済〈元利償還が示されていない)、老朽化を迎えた公共施設・道路・橋梁・上下水道等の更新問題、地震や温暖化による自然災害の頻発、高齢化による社会保障費の増大等、数え上げればきりがないほどの課題が山積である。

高架事業の財政が大丈夫というのは、人口減少になっても今の税収が確保出来るという仮定、地震津波の災害がないという仮定、国の補助金が毎年要望通り来るという仮定、高齢者が自立した生活をし、介護が増えないという仮定等、全て仮定の上で成り立っている。それも全く根拠のないものである。

根拠のない仮定を並びあげ、「大丈夫、大丈夫」といわれても、市民の懐疑心は深まり、不安は募るばかりである。だからこそ、自己検証ではない第3者機関の検証が必要だと多くの市民は思っているはず。


現実、ごみ焼却施設200億円の事業費が出せない状況である。全国1200施設ぐらいある焼却施設の中でも40年経過した施設を更新していないのは2%ぐらいではないのか。心配はさらに50年経過した老朽化した庁舎は大丈夫なのか。まして浸水域にあり非常電源が地下にある状況は大地震の拠点になりえるのか。

既に退職をした体育館の職員は、自分は死ぬ覚悟で毎日勤めていたと言う。本気でそう思って地震が来たときは市民優先でその下敷きになると。笑い話ではない本当の話である。建て替えするまで地震が来ないことを祈るしかなく、それは今も続いている・・・

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